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η
思い出に縛られる人生は嫌である。本当に嫌である。
そうやって、理性では嫌っているのに、本能は思い出というオアシスに留まろうとしている。
そんな自分もたまらなく嫌だ。
いつまでもいつまでも、目の前の現実から逃げて、過去の栄光に、幸福にしがみついて、自分の責任から逃れようとしているのだ。今までもいつだってそうだった。そうして現実にいいものが現れたら、あっさりとそれを捨てて、自分にとって利益の高いほうに逃げるのだ。 最低な人間だ。

もうあれから1年半も過ぎた。
1ヶ月もすれば苦しみから解放されて、何事も無かったかのように過ごせると思ってた。
世界は1年半進んでも、私の心の奥底は未だ、あの日のままだ。
どうしたらこの苦しみから解放されるのかと、本当にそれだけを探し続けて、1年半も苦しんできた。
表面上は忘れて、心の奥底に沈めたはずなのに、その思い出は未だに私の心の中で暴れ、這い出てくるのだ。

こんなに苦しむ必要性も、意味も何も無い。なぜこんなにも苦しめられるのかわからない。
ただの個性の違いをさも優劣のように捉えて、勝手につくりあげたものさしで測って、
すべてにおいて自分が劣っていると言っておきながら、心ではすべてにおいて優れていたいという矛盾を抱えて、勝手に一人で被害妄想に陥って、歪んだ感情を持つようになった。
純粋な感情はそれによって駆逐され、相反する意思決定を行って、相手を傷つけ、そして自分も傷つけたのだ。
愛想をつかされて、信頼を失うのは当然の結果だった。

この長い苦しみは私が働いた悪事の報いなのか。私が疎かにした時間の報いなのか。
あんなに幸福だったあの出来事も、すべてこの悪夢の始まりだったのだ。
一時的に私に幸せを降らせて、その後はひたすら、苦しめるだけだったのだ。


今私が望むことは、この毒袋のような思い出を吐き出し、心の奥底にしまい、他の記憶と同様、過去の話と割切ることだ。
その日は本当に来るのだろうか。 その日まで、私は苦しむのだろうか。

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